ラ・カリベーニャでビギナーレッスンを開始します

さてさて、いつも放置になっているブログですが、やっと更新できました。
タイトルの通り、La Caribenaにてサルサビギナーレッスンを開始します。

毎週、木曜日19:00〜20:00
土曜日17:30〜18:30
ワンドリンク(生ビール、オレンジジュース、ウーロン茶)付きで1500円です。

サルサを始めてみようかな、クラブレッスンは気後れしがち、クラブへ行く前のウォーミングアップに、苦手なペアワークをじっくり覚えたい…そんな方にぴったりのレッスンです。
格好いいの前に、先ず楽しく踊ってみましょう。
楽しく踊っている人と一緒に踊ると自分も楽しい気持ちになる、そんな「楽しい」の輪を広げるサルサステキだと思いませんか?

先ず、気持ちが踊るサルサ、そんなことにこだわって取り組みますので、どうぞよろしくお願いします。
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# by noriko.f | 2011-01-24 20:43 | SALSA  

日本舞踊からサルサへ

3歳から日本舞踊を習っていた。
毎週のお稽古が楽しくて仕方なかったし、週に一度では物足りないくらいで、家でもよく練習をしていた。
父の晩酌のショータイムにもなっていたりして。

先生(まぁ、いわゆるお師匠さん)は、厳しい人でした。
昭和のお稽古ごとなので、楽しくやりましょうねぇ…的な感じではなかったなぁ。

現代のレッスンのように、何時からっていう縛りが無いので、自分よりも早くお稽古場に来ている人がいれば、順番を待たなければならない。
ただし、やむを得ない用事があったりすると、交渉して入れ替えたりもできるのだ。

一人当たり、45分から1時間前後のお稽古を着物を着て正座をして見ながら待っていなければならない。
でも、それが普通だから、苦痛と思ったことも無かったし、自分の知らない踊りをみているのは勉強になったし、楽しかった。
子どもだったから、勉強するという意識はあまり無いのだけれど、今思えば、手の使い方、細かな仕草など、人の技を見て盗むと言った感じだろうか。
人のお稽古を見るのも稽古のうち、と言う訳で、子どもといえど、落ち着いてみていられなければお師匠さんに叱られるのも当然だった。

お稽古場で仲よくなった同じ年頃の友達姉妹は、他の人のお稽古を見ているのが苦手で、よく脱出したりして起こられていたのを覚えているw

そんな厳しい師匠(自分の祖母くらいの年齢だった)に教えていただいていたのだけど、その厳しさと緊張感が心地よかった。
お稽古を終えて外に出ると、「はぁーっ」と言いながらのびをしている私を見て、いつも母は「そんなに窮屈に感じているのに、何でお稽古が好きなのかわからない」と言って笑っていた。

その緊張感や厳しさと、上手に踊れた(表現できた)ときにお師匠さんに褒められた時の嬉しさが絶妙なタイミングで心地よかったのだと思う。
褒められるというよりは、喜んでくれているという感じだったなぁ。
それが嬉しかったのを覚えている。
アメと鞭なんだろうか。

サルサインストラクターをしているサルサ同期の彼女のブログを読んで、自分が日舞のお稽古をしていた時のことを思い出して、ブログに書いてみました。

確かに、現代の習い事は「楽しむ」が先にきているなぁ…と実感。
自分がサルサを始めた頃は、日舞を習っていた頃のような厳しさを求めていたのかもしれない。
それは、ある意味自分のための貴重な時間なんだもの。
楽しければいいのなら、他のことを選ぶなぁ。同じお金を使うなら、お酒でも飲んでいた方がいいでしょう。
習いたい、学びたいという気持ちからそこへ行くのだから、吸収したい欲求を満たしたいと思うのが本来の姿で自然なんじゃないか。真面目とかそういうことじゃないような気がする。
楽しければいいのであれば、なぜ学びを選ぶのだろう?
ぜーんぜん理解できない。

習い事もビジネスになってしまってから、ちょっとおかしなことになっているのかもしれない。
確かに、私が日舞を習っていたお師匠さんもビジネスですよ、それで生活しているのだから。
時々、舞台に立ち、出演料を稼ぐこともあったでしょうけど。
でも、現代の習い事のように雑誌やら、ネットやら、多種に渡る媒体を使って宣伝しているわけでもなく、もっと濃い信頼関係の中で新しいお弟子さんを少しずつ増やすというつながりなので、ビジネスとしてはなかなか厳しいものだったはず。※古典芸能ならではの云々はここでは省きます。

そう、習う方も「ちょっとつまんで、ダメだったらやめよう」みたいな感覚ではなかったのだ。
お互いの真剣さが支えだった。現代では希少なんだろうなぁ、そういうの。
そういう真剣勝負が無くなってしまうのはとても寂しいこと。
子どもにたくさん習い事をさせるお母さんの気持ちはとても理解できない。
何を修得させたいのか。
スイミング、英会話、ピアノetc…
カルチャースクールで多数の講座を受ける人や、スポーツクラブで多数の講座を受ける人も同様に。

本当に何かを学びたいなら、「みんなで楽しく」なんてどうでもよくて、自分だけが上達すればいいし、自分のために学べばいい。(利己主義という意味ではない)
まぁ、多くの日本人の感覚がおかしくなってしまっているのを日々嘆いていても仕方ない。
でも、「日本人がにこにこ親切なのはビジネスシーンだけで、犬や猫を可愛がるくせに電車やバスで誰かに席を譲ることさえできない」と、日本人じゃない人に言われると悲しくなってしまう。
善意でもなんでもなくて、当たり前のことをやりたくない人があまりにも多いから。
電車で通勤していると日々いろんな思いをする。

サルサを習い始めた頃のことは、そのうち書くとしよう。
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# by noriko.f | 2010-10-04 18:49 | SALSA  

6年経過で7年目

今日気がついたけれど、このブログもう6年以上も経つんだった。
途中、放置期間もあるけれど。
日記を書く習慣が無かったから、記録が残っているということはありがたい。
過去の日記を読んでいると、当時は精一杯で書いているのだけど、当然ながら今の自分から見ると未熟で恥ずかしいなぁと思うことが多い。
でも、何でも継続するっていうことは無駄ではないと思うよ。
と、自分で自分を励ましてみたりする。

つたない文章で、たいした内容でもないことを書いていることが多いけれど、これからも継続してみようっと。

しかし、この6年間でいろんなことがあった。
10代後半よりも人生の転機だった。
年を重ねて、経験を積んだはずなのに、横風に流されることが多かったようだ。
どっしりとしすぎたり、流されすぎたり、極端なのは相変わらず自分の欠点だ。
もがいていても何も変わらないこともあるし、てこの原理の状況があらわれて、すんなり事が運ぶこともある、。
いろんなことの中で学んだことかもしれない。
なるようにしかならないけれど、成せるかどうかは自分次第。
結果は一つだけじゃない。
正解の中にも不正解はあり、不正解の中にも正解はある。
視点を変えれば悪も正義。
もっと柔軟に、もっと図太く。
今まで起こった全てのことがあって、今の自分があるということ。
そして、人生に無駄はなし。
その全てのことに意味がある。

自分の余命は誰しも知らない。
自分はあとどのくらい生きて、その間にどれだけのことができるかわからない。
やりたくないことはやらない。(わがままに生きるという意味じゃなくて)
考えすぎない程度に、よく考えて、後悔しないように生きる。
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# by noriko.f | 2010-08-23 21:46 | つぶやき  

後悔していること

長く生きていれば、誰しも後悔していることの一つや二つはあるのかもしれません。
自分が後悔していること、それは、生前の母とのコミュニケーション不足。

今から2年10ヶ月前に亡くなった母は、一人暮らしでした。
住んでいた家を私に残して、一人で亡くなってしまった母。
亡くなる1週間程前に、友達と函館に旅行に行っていたらしい。
知らなかった。
コミュニケーション不足だから。

母は糖尿を長く煩っていたけれど、よく病院へ通っているということは、よい状態ではないけれど、急に亡くなったり倒れたりする心配も無いだろうと勝手な推測でタカをくくっていた。
数年内には一緒に暮らす必要があるだろうけど、今はまだ大丈夫だろうなんて勝手に思っていた。

糖尿病から緑内障と狭心症を併発していた。
緑内障は手術をするという話を聞いていたけれど、狭心症についての症状はあまり聞いていなかったので、どの程度の症状なのか把握していなかった。

もしかしたら、北海道旅行で飛行機に乗ったのが良くなかったのかもしれないし、なくなる直前に季節外れの台風が来ていたのが影響したのかもしれない、両方わるかったのかもしれない。
しかし、苦しい時に電話をしてこなかった。
心配をかけたくないからなのだろうか。
友達へはメールを送っていたのに。

母の住んでいた家の掃除が大変だった。
2階建ての古い4LDKだけれど、どこもかしこもびっしり荷物。
しかも、殆どガラクタとゴミ。
キッチンは賞味期限の切れた食材がてんこ盛り。
何からどう手を付けていいのかわからない状態。
でも、やらなくては。
なんでこんなに掃除してないんだろう、暇だったんだからゴミくらい捨てれば良かったのに、
あれほど不要なものは処分した方がいいって話したのに…
と、ずーっと考えながら片付けた。
しかも、ゴミの処分にものすごくお金がかかった。

でも、本当は、母が元気なうちに私が掃除に行って、ゴミを捨てておけばよかったんだ。
もし、そうしておけば、母はもっと快適な家で生活することができたのだから、数年は元気でいてくれたに違いない。
年をとってしまうと、自分たちのように掃除したり、ゴミを捨てたりしていることが簡単にできなくなってしまう。
それを手伝うのは娘である私の役割なのだ。
なんでそんなことも気付かずに、自分のことだけを考えて生きていたのか。
しばらく後悔している。

親孝行でもなんでもない、当たり前のことができなかったことが悔やまれる。

死んでからの葬儀や、墓参り等の供養は対面的なもので、本人には伝わりっこ無い。

もう、母は帰らないけれど、後悔することは一つでも少ない方がいい。
後悔しないように、日々考えて生きていきたい。
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# by noriko.f | 2010-08-19 21:19 | つぶやき  

LaCaribenaでイベントあります

またも、ブログを放置してしまいました。前回の投稿から早2ヶ月か…。

さて、今年の夏もキューバから様々なアーティストが来日して、ショーやコンサートが行われますね。
わたしもLOS VAN VAN久しぶりに観に行く予定です!
チケット購入ご希望の方、ご連絡ください。
まだまだ入手可能です。

それでは本題のイベントのお知らせです。
【Dos Sones De Corazones en LaCaribena】
LaCaribena初ライブはなんと、Dos Sones de Corazonesのお二人に決定しました!
キューバ音楽とキューバ料理とラム。真夏の楽園気分をLaCaribenaで満喫してください!!!
日時:8月21日(土)18:30〜
料金:¥2500(ワンドリンク付)
場所:LaCaribena 港区六本木7-3-19バルミー六本木
(※お席の確保はご予約のお客様優先とさせていただきます)
電話:03-6447-0130

カリベーニャのお料理は本場キューバの味。
もちろん、モヒートを始めとするラムカクテルや、キューバ産のラムも。
そして、現地の空間を切り取ったような超本格キューバ音楽があったら、そこはもう六本木ではなくて、キューバのサンティアゴそのまま!
大げさに書いているようだけれど、本当です!

話は変わりますが、今日、新しいDVDが届き仕事中から見ています。
「SUITE CUBA」というドキュメンタリーもの。
台詞も解説もないし、音楽もたまーに流れる程度。
しかし、キューバ(ハバナのみですが)で生活する人のありのままを描いた作品で、見応えがあります。
現在の東京を見ていると、モノと情報が溢れすぎていると感じます。
昨日、今日、感じたわけではありませんが、ある年齢を過ぎた頃からかな。
リーマン時代にランチを買いにいったコンビニで、漠然と、こんなにモノがなくても消費社会は十分成り立つはずなのに…と。
まぁ、当時はメーカーのサイトの構築等していたので、矛盾する考えではありましたがw
そして、キューバへ短期間ですが、滞在した後、東京へ戻ると、夜の街がまぶしく感じたことを思い出しました。

モノや情報があふれていても、大事なものを見失ってしまわないように生きていかなくちゃいけないのと同時に、周囲との関わりでお互いに与え合えるものを大切にしていこうと改めて感じている昨今です。

東京だけでなく、日本だけでもないと思いますが、モノや情報があふれすぎて、それに依存しすぎて生きているとろくなことは無いように思えます。
東京では他人とコミュニケーションをとれる人が少なくなっていて、本当にがっかりすることが多いです。

せめて自分は、自分の周囲は、コミュニケーションをとれる人であれるようでなければと考えています。

現在、レッスンはお休みしておりますが、自分の生活環境や体調が整い次第、再開を検討しています。
レッスンでの人との関わりはしばらく先の話になりそうですが、お休みしている今も志しや姿勢を変えること無く存在していたいです。
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# by noriko.f | 2010-07-09 15:42 | La musica cubana